【鬼滅の刃】干天の慈雨を作ったのは誰? インドア派の空想タイム
鬼滅の刃の作中で、個人的にすごく印象に残っている技があるんです。
それは、水の呼吸 伍の型『干天の慈雨』。
作中では、炭治郎が、那田蜘蛛山編にて登場した母蜘蛛を斬るのに使った技となります。

干天の慈雨って、その1回しか使ってないよね?

鬼を苦しませないようにする慈悲の一撃だからね。抵抗せずに自ら頸を差し出した鬼も、作中ではこの母蜘蛛だけだったし。
そう、干天の慈雨の異質なところは、『鬼を苦しませないように斬る』ところにあります。これは明らかに他の技と趣が異なるので、そんな技があるのかと驚いたものでした。優しい炭治郎のイメージにもぴったり当てはまりますよね。
一方で、こうも思いました。
水の呼吸があるということは、それを生み出した人物が過去にいた。
つまり、干天の慈雨という技を生み出した人物が、過去にいたんですよね……

鬼滅の刃本編の時間軸でも、自分だけのオリジナルの型を生み出した人がいましたものね。そういったものが後世まで伝わってきたのだと思えば、同じような感覚のはずです。

苦しませずに鬼を斬る技をわざわざ編み出したってことは、そうしなきゃいけない状況に追い込まれた人が過去にいたってこと?

あの世界では、本当にたくさんいたと思う。鬼が元人間っていうのが、もう悲しい設定だものね……
鬼滅の刃の世界では、倒さなければならない鬼が『元人間』。倒す側も倒される側も人間となると、加害者も被害者も、誰も彼もが鬼舞辻無惨による被害者と言えます。
作中で、身内が鬼になってしまった人物もいました。炭治郎だってそうです。
炭治郎自身は、いろんな事情により、幸運にも禰豆子をすぐ斬らずに済んでいます。ですが、世のほとんどの人はそうもいかなかったはずです。
だって、一度鬼になってしまった人は、人間を襲って食べてしまう。そうすると、やはり例外なく倒すしかなくなりますよね。
ゆえに、わたしはこう考えます。
干天の慈雨を生み出したのは、大切な人を斬らなければならなくなった鬼狩りであると。
だって、斬らなければ、鬼自身も苦しむし、周りだっていつ被害に遭うか分からないし。苦渋の決断を強いられてしまったのだろうなと。
大切な人とは

これは分からない。家族かもしれないし、恋人かもしれない。親友かもしれない……

師弟関係なんて話も有り得る。どちらが師匠か弟子か分からないけど。どちらかが継子だった可能性もあるかもしれない。考えれば考えるほど切ないね。
何にしても、当該人物の近しい人であったことは間違いないと思うんですよ。
なんなら、その鬼になってしまった大切な人を斬るために、鬼狩りの道に進んだ人物かもしれません。わたしの中では、まさしく炭治郎のような人物がイメージされています。それだけ炭治郎に似合う技に思えたもので。

ドラマを感じる……!

いくらでも想像を膨らませることが出来そうだよね。
おそらく、公式で明言されていない話だと思うので、もし関係者の方がこの記事をお読みになられていたら、是非とも一考のほどを……

それは図々しすぎるでしょ……
皆さんは、干天の慈雨にはどんなドラマがあると思いますか?
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