種田山頭火の自由律俳句は、SNSと相性がいいなと思った話

種田山頭火、教科書ではよく見ていたんですが、好きになったのは大人になってからでした。

好きな句が載っていた句集は、思わず購入してしまいましたよ。
特に詳しいわけではないけど。

著作権も切れてるから、今じゃそこまでしなくても、彼の作品には触れやすくなったけどね。

この、掴めそうで掴めない孤独な感じがたまらなく好きなのですが、しばらくページを捲っていて、何となく考えたことがあります。
種田山頭火の自由律俳句は、現代で言うところのSNSと相性がいいなあ、と……
自由律俳句って?
一般的な俳句って、五七五のリズムがありますよね。
自由律俳句とは、そのリズムがない句のこと。

要は、自由ってことか。
種田山頭火の代表作としては、
分け入っても分け入っても青い山
なんかがあります。

これは多分、教科書でもよく見るやつですね。

自由律俳句とSNSとの親和性

SNSって言い方はしてるけど……
特にX(旧Twitter)との相性が抜群にいいような気がしない?

そうなの! わたしもそう思う!
現代でも、X(旧Twitter)で、自分の作品を呟く俳人の方をよく見かけます。
Xって、各種SNSの中でも「短文で呟く」側面が強いですから、普通の俳句や川柳、短歌とも相性はいいと思うんですよね。

何となくタイムラインに流れてきたら、サラッと読めますものね。

君、実際、Xに流れてきた短歌に惹かれて、その人の歌集を買ったこともあったよね。

あれは自由律俳句ではなかったけどね……!
自由律俳句は、一般的な俳句や川柳、短歌に比べて、より「呟く」側面が強いように感じられます。
なんというか、ものによっては、
「それ俳句?」
って言いたくなるような、カジュアルな文面も結構あります……
SNSで刺さりそうな種田山頭火の句
例をいくつか挙げてみます。
- また見ることのない山が遠ざかる
- まっすぐな道でさみしい
- 墓がならんでそこまで波がおしよせて
この辺りは、彼の孤独が前面に出ているようで、きゅっと胸を掴まれる心地がします。

実際、その半生は波乱万丈かつ、結構孤独だったようだから、実感もあるのかもね。
一方で、「それ俳句?」と尋ねたくなる作品には、こんなものもあります。
- 何がなにやらみんな咲いている
- 今日の道のたんぽぽ咲いた
- ながい毛がしらが

……俳句……?

俳句……
もしも種田山頭火が現代に生きていて、Xに日々こんなのが投稿されていたら、リポストがどのくらいでいいねがどのくらいで、コメント欄では様々な意見が飛び交うのかなあ、なんて想像してしまいますね。

自由律俳句の俳人って、もちろん他にもたくさんいるんですが、種田山頭火の句は、今読んでも妙に現代的で面白いので、たまにはちょっと触れてみてはいかがでしょう?

ちなみに、すずかはちくま文庫の山頭火句集を読んでいるけど、今なら図書館でも、青空文庫でも読めると思うよ!
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