やっぱりひとり。でも、やっぱり寂しい。山頭火の二句を語る

大人になってから、種田山頭火の句に惹かれるようになりました。


俳句とか川柳、短歌自体が、短文で呟くX(旧Twitter)みたいなSNSとは相性がいいと思うけど……
自由律俳句だと尚更だね。
自由律俳句の俳人は他にもいるんですけど、どうしてわたしが種田山頭火にそんなに惹かれるのか。
多分なんですけど、句から読み取れる言いようのない孤独に惹き付けられるんですね。

なんと言うか……
インドア派だったのかなあと……

このブログの方向性と同じくってこと?
まあ、種田山頭火自身は、旅してたみたいだけどね……
今回は、そんな種田山頭火の句の中で、わたしが特に好きな句について語ってみようと思います!

ちなみに、種田山頭火の句は著作権も切れているので、原文も普通にそのまま引用するよ!
特に好きな句はこちら!
- やっぱりひとりがよろしい雑草
- やっぱりひとりはさみしい枯草
こちらの句になります。

ちくま文庫の山頭火句集で読むと、この二句は、同じページに書いてあるわけではありません。
でも、何となく対句に見えますし、雰囲気も似ているので、実際に対句なんじゃないかと思われます。

確かに孤独がありありと滲んでいるね……
この句のどこが好きなの?
草の使い方が……上手すぎると思うんですよ。
俳句としてはこれしかないですから、詠んだとき、彼に具体的に何があったのかは分かりません。
(もしかしたら研究とかされてるのかもしれませんが、わたしはそこまで詳しくないです。申し訳ない)
ただ、草の表情だけで心境が浮かんでくるというのは、やはり並大抵のことではないと思うんです。

ひとりって、気楽です。
少なくとも、わたしはそう感じる性格です。
なにせ、インドア派のライフスタイルブログのブログ主ですから……

でも、ひとりと言えども、実際は結構いろんな人と関わりながら生活するからね。
人間も、ボクら猫もさ。
だから、本当の意味で孤独になったら、やっぱり寂しいんじゃないかなあ。
この二句を一緒に読むと、そういう繊細な感情が伝わってくる心持ちがするんです。
孤独を楽しんでもいるけれど、同時に深く悲しんでもいる。
強がってはいるのだけれど、実のところは寂しさも抱えている。
そういう人間の矛盾をはらんだ二面性が、この上なく美しく、簡潔に表現されていると思うんですよね。

しかも、感覚としては、令和に入った現代でも通じる。
決して古くは感じない。
そこがまたすごい。
また、種田山頭火のこの手の句は、こちらが手を差し伸べたくても、微妙に届かないような感じもしますよね。
自身の内面と語り合っているようなんですが、肝心なところというか、核心までは掴めないんです。
それもまた、読者の心を打つんですよ。

手が届かないものって、妙に美しく見えることがあるよね……

皆さんは、種田山頭火の句で特に好きな句はありますか?
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