テイルズオブシンフォニアとFF10は、似ているようで違う物語だと思う話

テイルズオブシンフォニアとFF10って、結構類似点を指摘されることが多い作品ですよね。
特に、シンフォニアでいうところのシルヴァラント編までは、FF10でいうところのユウナレスカ戦辺りまでに、流れが近いように感じます。

まあ、確かにそうだね。
とはいえ、発売が後だったシンフォニアの方が、FF10をパクったのかと言われたら、それは違うと思います。
わたしは両方しっかり楽しみましたが、そのうえで、味わい方が違う二作だと思うんですよね。

今回は、そう思った理由について、自分なりにまとめてみたいと思います。
作品を楽しむ上で、助けになればいいのですが。
双方の類似点
ストーリー展開
これは、大枠が似通っているというより、ほぼ同じです。
世界を救う旅をするヒロインと、そのパーティーについていく主人公。
物語が進むにつれて、実は世界を救うためにはヒロインの犠牲が必要になると判明する。
主人公はその運命に抗おうとする(世界もヒロインも両方救おうとする)
この骨格については共通項ですね。
各キャラクターの役割
これもかなり似ていると思います。
とりあえずシルヴァラント編までに絞って考えると、基本的にはこんな感じではないかと。
| シンフォニア | FF10 |
| ロイド | ティーダ |
| コレット | ユウナ |
| ジーニアス | ワッカ |
| リフィル | ルールー |
| クラトス | アーロン |
| しいな | リュック |

……キマリは?
通さないの?

違うよ!
あと忘れてないよ!
序盤はクラトスが、アーロンでもキマリでもある感じもしますけどね。
双方の相違点
ここで相違点を挙げてみようと思います。
骨格は同じでも、味付けが全く異なる点がいくつもあるんですよ。
コレットは運命、ユウナは選択
コレットは、生まれつき神子としての運命を定められていました。
要はそれは、生まれつき、世界を救う役割と、そのために自分を犠牲にする役割を与えられていたということです。
一方ユウナは、召喚士という道を自ら選びました。
偉大な召喚士であるお父さんの影響はもちろんあると思いますが、彼女自身が、召喚士になれと詰め寄られていたわけではないはずです。
それでも彼女は、自分の命を使って世界を救う道を選びました。

どちらも愛しいし、尊いです。
どちらにしても、主人公の立場としては、守ってあげたくなりますね。
差別問題へのアプローチが異なる
ジーニアスはワッカの役割であると上で書きましたが、この二人には、かなり明確な違いがあります。
ジーニアスは差別される側、ワッカは差別する側ということです。
(ハーフエルフであるジーニアスは、人間に差別されることで、人間嫌いになっている節もありますけれども)
また、リフィルについても、ルールーのような「見守る」という立ち位置に加えて、自らも差別被害の当事者であるというのも、FF10と違うところですね。

シンフォニアで、ハーフエルフと聞いて、明確に顔を曇らせるキャラクターはゼロスだね。
となると、シルヴァラント編ではジーニアスがひとりで担っていたワッカの役割を、テセアラ編からはゼロスも一緒に担う雰囲気になるんだ。
シンフォニアにおけるキマリ的役割の人は、テセアラ編以降の登場
シンフォニアの初期メンバーには、キマリのような人がいない(強いて言うならクラトス)話をした事がありましたが、その役割と思しき人は、テセアラ編以降の登場となります。
個人的には、リーガルなんじゃないかと思うんです。
で、同じくテセアラ編からの登場であるプレセアは、キマリから見たユウナのような側面のキャラクターに見えます。

幼少期からユウナを気にかけていたキマリと、愛した人の家族だからとプレセアを気にかけるリーガル。
事情は違うけど、方向性は近いのかな。
他にも、似ている点と違う点、いろいろあるんですが、ここから分かることは、骨格が同じくらいではパクリにはならないというところです。
事実、どちらも何周も楽しんだ身であるわたしも、特に双方を混同したりしませんし。
結論としては、どちらも良作ですので、未プレイの方は是非遊んでみて欲しいです!
